カテゴリ:生きること死ぬこと( 3 )

魂は循環する

人は、肉体によって世界に触れることができます。

目があるから見ることができ、耳があるから聞くことができる。鼻があるからにおいをかぐことができ、舌があるから味がわかる。手があるから触れることができ、肌があるから寒暖を知ることができる …。

「死」とは、要するに眠っている状態なのではないか?と思っています。麻酔をかけられると一発で意識を失いますよね、あのまま眠りから覚めなければ、それは死んだ状態。

でも普通に眠っている時は、肉体はあり働いているので、意識はなくても周囲の物事は感じるし、音も聞こえています。それが無意識下に作用して夢になったりします。

「死」と「眠り」の決定的な違いは肉体があるかどうか。

夢のようなモヤモヤした意識はあっても、もう何も見えず何も聞こえず寒暖も感じないし痛みもない、食欲もない、人間関係他の具体的な心配もないし、生きる不安もない。

自分の名前は人に呼ばれて初めて認識するもの。誰も名前を呼んでくれなければいつしか忘れてしまうでしょう。私事で恐縮ですが、こうやって外国暮らしで日本語にあまり接していないと…ただそれだけでどんどん日本語を忘れていくのが分かるのですね。パッと単語が出てこない。

新たな苦しみもないかわりに新しい喜びもない。要するに刺激が何もない。

死んでしばらくはその人の気持ちは記憶に残っているのでしょうが、それも月日とともに消えていく… 神道では約50年かけて、荒魂が和魂に変わっていくといいます。個性が削られて丸い存在になると。

いろいろな生きていたうちの苦しみや悲しみや、自分の家族に対する想いや、…そういう記憶が薄れていった時、人の精神、あるいは心は何を思うでしょう? ただただ「すべてがよきあるように。子孫がよきあるように」… 穏やかな、この祈りだけなのではないでしょうか? 

神道では、死んだ人の霊は里山に上り、そこで子孫の繁栄を祈り見守っているといわれます。これ、あながち嘘ではないよな、と感じています。祖先の霊はそこにいる。キリスト教のように神の国へ行くのではなく、私たちと一緒にいる。ほんの戦前まで日本人はそんなに移動しませんでいたし、昔は先祖のお墓はすぐそばにあったのですから、「先祖はそこにいる」という思いはずっと強かったでしょう。その視線を意識しながら生きていた … きっとしょっちゅう話しながら生きていた … その名に恥じないように。その名を汚さないように。

そうやって漂っていた存在が、ある時ふと肉体を与えられ、母の中で既に周囲の音や声を聞き … 母の肉体を通して刺激を感じ … そして生まれて新たな名前を与えられ、その名前の人としての一生を生き、この世でなすべきことをなし … そしてまた肉体が終わった時、魂(精神)だけの存在となる … その循環。そういう意味で、私は「生まれ変わり」を信じています。それは決してお話みたいにドラマチックなものではないのですけど。もっと淡々とした循環。

だから今は私の「我」はグランマの目で世界を見て、生きていますけど、きっとたぶん過去に誰かの名前で生きていたのかもしれないし、きっと未来のいつか、また誰かの名前で存在しているのかもしれません。








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by grandma2675 | 2015-12-28 22:50 | 生きること死ぬこと

名前

私は小学生の頃自分の名前が嫌いでした。平々凡々で。何でこんな名前つけてくれたのかなぁと。

で、いろいろ名前を考えていた。○○とか△△とか。で愕然とした。もし私が△△という名前だったら、××子という『私』はここにはいない。もしかして××子は他にいて、私は△△の人生を歩んでいたのかもしれない。△△の目で世界を見ていたかもしれない。××子の目で見ている『私』は別にいたのかもしれない。…そしたら突然足元の地面が崩れるような不安感に襲われまして。じゃあ自分は何? たまたま××子としてここにいるけどそんなの『絶対』でも何でもなかったわけで、と。

ひとつの命が生まれて、その命は『命名』されてはじめてひとつの存在になる。名前をつけられて初めて他の命と区別され、その○○さんの人生が始まる。

昔は現在のように医療技術が発達していたわけではないので、生まれてすぐの赤ちゃんが亡くなることも珍しくなく、生まれてから6日目までは赤ちゃんの命はカミの領域で、生後7日目でようやく人間の子として認められたんですね。それがお七夜でその時に命名式。

岡野玲子のマンガ『陰陽師』①(原作の夢枕獏をあげた方がいいのか)より。

「なあ 博雅… この世で一番短い呪とは何だろうな」
「この世で一番短い呪…? しかし何でおれが考える? おまえが教えるべきじゃないか?」
「さっき言ってやったろう 名だよ」
「おまえの晴明とか? おれの博雅とかの名か?」
「そう 山とか海とか樹とか草とか そういう名も呪のひとつだ 呪とはようするにものを縛ることよ
ものの根本的な在様を縛るというのは名だぞ
たとえば おぬしは博雅という呪を おれは晴明という呪をかけられている人ということになる」
「この世に 名づけられぬものがあるとするとすれば それは何でもないということだ 存在しないとも言える」
「難しいな おれに名がなければ おれという人はこの世にいないということになるのか?」
「いや おまえはいるさ 博雅がいなくなるのだ」


… 自分が夫と一緒に子供たちに名前をつけた時初めて親の気持ちを体感することができました。そこにどれだけの願いが込められていたのか。…今は自分の名前大好きです。


【閑話休題】「陰陽師」と言えば彼、フィギュアスケートの羽生結弦君。これで滑り込んでいったらどんな素晴らしい陰陽師が…っ!楽しみ!

     https://www.youtube.com/watch?v=C-8Wxr1yfxU





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by grandma2675 | 2015-10-23 05:12 | 生きること死ぬこと

欧米に寝たきり老人はいない Part1

欧米に寝たきり老人はいない Part2

もう20年以上も前の話です。日本での話。

知人の義父が倒れて入院となりました。確か脳溢血か何か。彼女はたぶん私より10歳は年上だったと思います。

彼女とご主人は病院で、義父が寝たきりの、いわゆるスパゲッティ状態にされているのにショックを受け、「自宅に連れて帰る」と。

当然病院の医師には反対されて大喧嘩になり、最後は「殺人罪だ」とまで言われ、それでも担いで義父を連れて帰ったのだとか。

帰って布団に寝かせたはいいけど「さてどうしよう」となり、試に脱脂綿に水を含ませ義父の唇に持っていったら水をすすったので、「『ああ、大丈夫だ』と思った」と。

で、私に電話してきた時は、寝たきりだったその義父は椅子に座るまで回復していたそうで。彼女は夫とともに義父を連れて夫の生まれ故郷に引っ越していきました。

この話を聞いた時「強い!」と思いました。この話はいつも私の頭の隅にあります。私にできるだろうか?と。

もともと生物は歯がなくなりモノが自力で食べられなくなれば死にます。それが本来の姿。人も同じ。

腕につけられた点滴の針を自分で引き抜いて死んでいった老婆の話を聞いたこともあります。

ああ、今思い出しました。これもやっぱり同じ時期。夫の遠い親戚から、確かオランダから手紙が来て。当時もオランダは既に安楽死を認めていたのですかね? 不治の病で、彼は安楽死を選び、死ぬ前に一族全員、ひとりひとりに手紙を書いたのでした。

私は、こういう強さを持ちたいと思っています。自分に対しても、家族に対しても。夫の死生観などもいつも一緒にいて理解しているつもりです。だけどその時強くいられるかと。そんなことを、当時も考えていましたけど、今はより真剣に考える。そういう齢になったということですね。







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by grandma2675 | 2015-10-18 23:39 | 生きること死ぬこと