カテゴリ:日本語・外国語( 4 )

雨が降る

雨が降る。

雨は降る。

雨に降られる。

雨が降ってくれる。

雨に降ってもらった。

空から水滴が落ちてくる … 要はその自然現象を説明しているだけなんですけど、それが話し手の気持ち次第でこうも自在に変化する。… 「だから私は嬉しく思った」などの結論をいちいち書かずともそれを言った(書いた)人の心が透けて見える。…もちろん他の言語だって多少はあるのでしょうが、この自由自在性は日本語は群を抜いていると思います。(全部の言語知っているわけではありませんけど) …だいたい11世紀初頭に既に「源氏物語」という微妙な人間心理小説が書かれていたお国であります故 …それも女性の手によって。

日本語について討論されています。まだご存じでないお方、ラジオがわりに是非一聴くださいませ。いや、興味深い、という意味で面白いです。



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by grandma2675 | 2015-11-24 19:28 | 日本語・外国語

マンガから見る日本語論

マンガの翻訳本はご存じのようにたくさん出ている。

どうやって翻訳してあるのかな?と興味があって、たまに日本語の原作と仏語翻訳本を比較してみたりしている。すると日本語の特徴が見えてくる。「なぜマンガは日本で発達したのか?」と。「手塚治虫がいたから」というのが答えだそうだが(笑?)理由はそれだけではないと思う。

マンガというのは、基本「絵」と「会話文」だけで成り立っている。

日本語というのは、例えば自分を指す言葉だけでも、その立場やTPOによって、「私」「僕」「俺」「ボクちゃん」「わたし」「わたくし」「拙者」「自分」…とにかく無数にある。加えて、同じ言葉でも漢字・ひらがな・カタカナ表記の違いによって微妙にニュアンスが違ってくる。「アタシ」とカタカナで書けば「外国人がたどたどしい日本語を使っているんだな」とまで理解できてしまう。女の子が「ボク」と言っていれば「つっぱてんだな」とか「女であることが嫌なんだな」とか…。

こちらの言語の小説など読んでいると、会話文の途中に「彼(女)が言った」という一言がよくはさまれていて、昔はちょっと「?」だった。日本ではそれを多用する作家は下手くそだと言われる。会話文そのものでその人物の性格から何から表現できてしまうのが一流だと。

で、仏語翻訳マンガを見ると…自分は全部「Je」。 英語だったら「I」なのだろう。男も女もなく、老いも若きも、TPOも関係なく…。だから日本文をただ訳していると誰が誰なんだか、よほと吹き出し(会話文を入れる枠)の引っ張り(話し手を指す)をはっきりと描いておかないと、一コマの中で数人が話していたりすると混乱してきて、誰が喋っているんだか分からなくなってしまう。それでよく原作にはないのに、翻訳マンガでは会話の中に相手の名前を入れたりしてある。日本文だったら「だよね?」の一言で終わるところが「だよね? ××君」とか、そんな感じ。というか「君」自体がないんだけど。最近は「ちゃん」や「さん」が日本語そのままに使われている。

それと日本語は語尾を「話すように」書くことができるので「○○じゃん」「○○だよ」「○○ですよ」「○○ね」と話し手の立場性格によって自在に変えることができるけど仏語(英語も)では無理。

「ワオッ!」「わおっ」「ワオォォォッ!」「ワオ~っ」…仏語も「WAO」「WAOoooo」やフォント自体を変えたりとかそれなりに工夫はしてるけど限界が…。

空の絵を背景に、ぽっかりと吹き出しが浮いているような構図だと、「一体これは誰の一言?」と分からなくなってしまうことも。

主語ひとつとっただけでもこれだけのことが言える。とにかく日本語は縦横無尽・変幻自在。3種の文字が入り混じり、またその組み合わせも無数で、画面が「飛び跳ねている」というか飽きない。私が外国人のせいもあるのだろうけど、アルファベットがただ並んでいるのを見ていると、単調というか、疲れてくる。ついでに日本語は縦でも横でも書けちゃうし…。斜めだってOKよ、ってこれ如何に?どれだけ自由なんだよ、ジャパニーズッ!?

日本人はその中にいるから気がつかないけど、この日本語の特性あってこそのマンガの発達なのだと思う。手塚治虫だってこんなこと知らなかったと思いますね。





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by grandma2675 | 2015-10-27 21:15 | 日本語・外国語

ケント・ギルバートさん

ケント・ギルバート氏、彼、昔はTVによく出ていて、「ただの芸能人か」くらいにしか思っていませんでしたけど、どうしてなかなか、最近スゴイですね。

彼は英語は当然ですが、日本語レベルも相当なものです。

で、彼曰く。

英語文を日本語に翻訳するのは簡単だけど逆は非常に苦労する、と。

なぜか?

「日本語の仮名50音と言われるが(※アルファベットは26字)、実際は「がざだば」行の濁音、「ぱ」行の半濁音。「あ」行と「つやゆよわ」という捨て仮名を入れると平仮名は76字、片仮名は「ヴ」も使うから77字。加えて常用漢字は2136字で、4388音訓もあり、どの文字種を使うかで微妙に意味を変えられる。「助詞」を使えば、日本語は文の中で語順を入れ替えることすら自由自在」



日本語の表現力って凄いんですよね。ひとつに意味に対して、和語漢語外来語の3種があったりして、で、それぞれ微妙にニュアンスが違っていて、日本人はそれを普通に使いこなしている。


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by grandma2675 | 2015-10-12 21:25 | 日本語・外国語

断絶

こどもたちは、上の2人は小学校低学年まで、一番下は保育園まで、日本の学校に通っていました。

理由あって渡仏。大ジャンプ。仏語がまるでできない中、フランスの学校へ。親も大変でしたがこどもたちは本当に大変だったと思います。

「日本語もフランス語も両方分からなくなっちゃったらどうしよう?」特に息子はホントに中途半端な時期だったので、不安で毎晩泣いていました。私も泣きたかったけど、もう来てしまった以上日本へ戻るわけにもいかず、だから「大丈夫大丈夫」と毎日一緒に夜ベッドの中で宿題のフランス語の詩の暗誦をやりました。

そんなこどもたちももう大人。

生まれた時からの記録ノートだとか足型だとか日本の母子手帳だとか…こどもたちの描いた絵だとか物語だとか…保育園や小学校での日記や引っ越すときクラスのお友達からもらった手紙だとか…そういうもの、3人分大きな箱の中にその都度入れておいたのですが、先日、ステキな箱を見つけたので、3人が成人した今、これを機会にそれぞれの思い出の品を分けてこどもたちに贈ることにしました。

日本の保育園、小学校、毎年親が我が子に対する思いを書き、文集を作りますよね。そういうのが山のようにある。生まれた時からの記録ノートには祖父母やいろいろな人からのメッセージが書かれている。

そういうのがこどもたち、読めないんです。上の2人は小学校低学年まで通っていたし、フランスに来てからも、ウチは夫も日本語話せますし、私とは日本語ですし、ひらがなカタカナ簡単な漢字、読み書き相当頑張ったつもりです。でも漢字に読み仮名のついた小学生が読むくらいのマンガなどは読めますけど、大人の本レベルになるととてもとても。日本語の日常会話と読み書きはまったくの別物ですから。

私が、当時我が子に向けて書いた思いが、かれらは読めない。読んであげればいいのでしょうが、涙が出てきちゃってとてもじゃないけどそんなことできない…。

その当時の親の思いを、ひとり静かに読んでもらいたいと思います。「元気に育つように」「勇気のある子に育つように」…いろんな人から頂いた思いをひとり静かに受け止めてもらいたい。

だけど、それができない。こんなに悲しいことはありません。

私は活字中毒というか本好きなので結構いろんな本があります。マンガも含めてこどもにも読んでもらいたいと思う本がたくさんあります。

読書は当人の好みで(ある程度大きくなると)押しつけじゃできないから、こどもたちが、周囲にある大人の(つまり私の)本を好奇心に任せて読んでくれたら、親からこどもへ、こんな素晴らしい贈り物はないと思っています。

でも、それができない。こんな当たり前のことができない。私の蔵書は私一代で終わり。宝の持ち腐れ。

親と子が同じ言葉を話す。同じ言葉の読み書きができる。昔の人の言葉と今の人の言葉がそんなに極端に変わっていない。…先人から受け継いだモノを次世代に手渡すことができる。これがどれほど幸福なことなのか!

今、私は、こどもたちの思い出の品々を、当時の自分たち親のこどもたちへの祈り、当時のこどもたちの、間違いだらけの幼い字で書かれた思いをひとつひとつ読み返しながら、『断絶』の痛さに涙を流しています。



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by grandma2675 | 2015-10-10 04:17 | 日本語・外国語